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2019-03-21

身も蓋もない話がしたいし、あえて不便を選びたい

今こうして自分のサイトで発言する、ということも緊張する。

発言すること、発信することはたやすくなったけれど、不適切な発言は炎上という名で取り締まられることも多くなった。閉塞感が増しているし、監視社会の側面が強まっている。

自分自身は炎上した経験もないし(するほど有名じゃないしね)、誰かにとやかく言われたこともそこまでない。

でもそれはそうならないよう注意深く生きてきたからだ。ライターながら比較的ひっそり生きてきた感覚はある。まあライターとしては腰抜けとも言えるだろう。

私がTwitterを始めたのは2009年だからもう10年も続けている。

先日Twitterを始めた頃の自分のつぶやきを見返してみたのだけど、今以上に友達とリプライし合っていた。

どうでもいい発言ばかりでもあったし(今もそうだけど)けれどそこは居心地の良い場所でもあった。

今はなんだかきれいごとやタメになるTIPS、全方位に配慮した遠慮がちな内容、ニュースをシェアするようなSNSになってきている。

この10年でつぶやかなくなった知り合いはとても多いし、ネット上で発信することに対しての意識も変わった。

そりゃ10年も経てば物事は移り変わるし、世の中は変わるのが当たり前だ。

けれど身も蓋もないような、取るに足らないような、そんなことを話す場がなくなっているのが私は悲しい。

合理的とか効率的とか実用的とか、そんなことばかりの世の中なんて窮屈で退屈だもの。

社会としてある一定の状態まで発展するために、利便性や合理性、生産性を求めるべきだと思うけど、もう世の中的には成熟している。

右肩上がりの成長ってもうそろそろいいんじゃないかな。

便利っていいことだけど、便利なばかりが優先された世界って面白くない。

合理的であることも大事だけど、合理的な方法ばかりを選んでいたら予期せぬ出合いは訪れない。面白いことだって生まれない。心の余裕だってなくなる。

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先日バンコクに行ってきた。バンコクに行くのは3度目。

冬の間中、暖かいアジアの国に行きたくてウズウズして、知り合いがバンコクにいるということでチケットを取って今回は一人で行ってみた。

いつも空港から市内まではタクシーで行っていたのだけど、今回はもっとリアルなタイが知りたいと思って列車に乗ることを選んでみた。

ドンムアン空港からフアランポーンまではタイの国鉄が運行している。

タクシーで市内まで行くとなると400-500バーツ(1,500円くらい)かかるのだが、この国鉄を利用するとなんと20バーツ(70円くらい)で行けるのだ。

しかしこのタイ国鉄についてはガイドブックにも載ってないし、空港でも全くと言っていいほど案内がない。ネットで事前リサーチしていないとわからないレベルなのだ。

実際に行ってみると、AMARI HOTELへ行く通路を通るスタイルで、かくれ扉のようにひっそりRAIL WAYの文字が書かれているのみ。

AMARI HOTELから国鉄へのホームまでの道がわからず現地の人に聞いてみたら「日本の列車とは全く違うから乗らない方がいい。あっちのシャトルバスに乗るんだ」と説得され、行きは諦めてしまった。

けれどどうしてもこの国鉄、ローカルな雰囲気に触れてみたい欲求、いつもと同じタクシーじゃつまらないという想いから帰りは面倒なのにフアランポーンまでタクシーで行って、フアランポーンからドンムアン空港に行くことにしてみた。

フアランポーン駅自体も日本人は全然いなくて、現地の人ばかり。チケットは普通に買えたけど、乗り場に行ってみたら案内板も何もなし。ホームというより、地上にそのまま列車があるという感じ。

乗ってみると空調はないし窓は開けっ放し、列車が走り出してもドアは開けっ放し、通路は売り子さんが行ったり来たり。乗客もローカルな人ばかり。

驚いたのは並走する車より速度が遅いこと。多分時速は40kmいかないくらいだった。遅延するのが当たり前と話には聞いていたけれど、全く時間通りに空港にたどり着けなくて、びっくりした。車内アナウンスもないから、googlemapをみていなければ、降りる駅も気づけなかったと思う。

ドンムアンで下車してみても、空港へどうやって行くのかがわからない。一回電車がさった後に向こう側のホーム(と言えるほどの感じじゃないけど)に渡り、階段を上ると空港への通路があり、AMARI HOTEL経由で空港にたどり着く、といった感じだ。

そんな不便なタイ国鉄だったけど、私は駅で切符を買って空港にたどり着くまでワクワクして仕方がなかった。不便にこそ面白さがあると言ったら少し違うかもしれない。未知なる体験への興味というものもあるだろう。

でも利便性を図り画一化されたもの、予測できるものより、予測できない何が起こるかわからないことにこそ面白さがあよな、とこの時強く感じた。

実際にそこで一緒に迷っていた人と会話が生まれたし、その人とまた空港のラウンジで再会したりもしたのだ。こういう経験は今までも何度かあったけど、こういうことが起こるから旅が好きというのもある。

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身も蓋もないこと、取るに足らないこと、不便なこと。

無駄とか不毛とかそういうものを内包しているものにこそ、面白さが隠れているように思う。

もちろん自分が無駄だと思うことはしなくていいと思うけれど、徹底的に無駄を排除したものって味気ない。

クリーンな意見がのさばる、無駄なものが排除され、漂白されきった世界は怖い。

今だからそんな、身も蓋もないような話ができる場が欲しいし、便利より不便だけど愛せるものを私は選び取りたい。

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