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2017-02-24

表現することで、救われる感情がいくつもある

生きていると不甲斐ない思いや、やるせない思い、辛い思いや悲しい思いをすることも多々ある。
私も新卒で会社に入ったばかりのころそうだった。
休日にすることもなく、食べることや買い物、遊びにお金を使うばかりで消費ばかりしている自分に嫌気がさすとともに、虚しさを覚えていた。
どんなにおいしいものを食べても、どんなにおしゃれな服を買っても、どんなに友達と飲みに行っても、その虚しさは埋まらなかった。
その理由は自分でもわかっていた。なんら生産的な活動をしていなかったからだ。
そんなとき始めたのがはてなブログだった。(ほぼ非公開で日記として記事を書いていた)
その時々の鬱憤や悲しみ、悔しさや嫉妬など言葉にして書き出してみると、救われていった感情がいくつもあった。
それから今まで5年ほどブログを続けている。
ニュースメディアのライター編集をやっていて、1日1万字以上の文章を書いていた時でさえ飽きずにブログも書き続けていた。

私はコンテンツに悩まされたとき、コンテンツに救われて、書くことで辛くなったとき、書くことで癒されていたのだ。

 

表現する苦労を、別の表現で昇華するということ

ずいぶん前だがしおたん(塩谷舞)さんによる安野モヨコさんのインタビュー記事を拝見した。
インタビューの中で安野モヨコさんも、描くことで辛くなったとき、描くことで自分を癒していたエピソードが語られている。

——忙しくて忙しくて、ギリギリのバランスをついに崩してしまった安野モヨコさん。そんな彼女が唯一、体調が悪くても描くことを止めなかった作品がありました。それが、当時朝日新聞で連載をしていた1ページ漫画『オチビサン』です。

「オチビサンを描きながら、安野さんは、自分自身を癒しています」(佐渡島)

安野モヨコさんの漫画には生きる勇気をたくさんもらってきた。しかし、『働きマン』とか『ハッピーマニア』とかエネルギッシュな女性が出てくる印象が強かったから、安野モヨコさんでさえ立ち止まった経験があったのかと、びっくりした。
一般的に何か表現をする場合は、受け手を意識するべきだし、受け手のため周りのために創作されるものだという印象が強い。
しかし、何かを表現するということは誰かの救いになるだけでなく、自分のことを救う作業にもなり得るのだ。
表現することで、救われる感情がいくつもあるから

だから辛くなったら、何かしらの手段で表現してほしいなと思う。
楽器を演奏するでもいいし、ダンスを踊るでもいいし、絵を描くでもいいし、写真を撮るでもいい。
自分の好きな形で、自分の好きなように、自分の感情と向き合った表現をしてみてほしい。
周りの人にどう思われるかとか、不快な思いをさせるんじゃないかとか、表現することに躊躇する気持ちもあるかもしれない。
でも何かしらの手段で表現することで、整理される気持ちもあるし、救われる感情がいくつもある。
きっとそれは未来の自分さえも救ってくれるから、今の自分の思いを表現に託してみてほしいと思う。
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