簡単に想像できてしまう未来なんて、私には用がない
■1年後の未来が描けないということは、悪いことでもない
自分がどうなりたいとか、どんな仕事をしたいとか真剣に考えていなかった。
自分と向き合いたくなかったのか、自分の可能性の天井をそこで定義してしまうのが怖かったのか。
だから内なる自分の声なんてものには耳も傾けず、そして就職活動もリアルな将来像と結びつけず、今とりあえずやらなくてはいけない儀式、くらいにしか思っていなかったせいで、後々苦労することになったのだ。
その時の浅はかさは恥ずべきことだけれども、そこでの失敗や怠慢はやはり今こうして清算しているともいえる。
しかし、4年前には今の私を全く想像することはできなかった。
■周りの声に惑わされず、自分を信じて進めば未来は開ける
社会の厳しさも知らなかったし、そこで感じる大人の人たちのやさしさがありがたいことであることもわからなかったし、一人暮らしをするとも思っていなかったし、サブカルチャーな場所でゆるっと生きるっていう私があこがれていた生活を実際にすることもできたし、それが私に向いていないってこともわかったし、自分はどんなことが好きで、どんなことをしたくて、どんなことに幸せを感じるかっていうのがどんどん明確になった。それはやりたいと思ったこと、気になったことを周りの目を気にせず、
感じるままに行動することが出来るようになったからでもある。
自分を幸せにするためには、自分の感性や感覚に頼るのが一番の近道なんて私は知らなかったのだ。
世間の常識や一般論が正しいと思っていた。
■簡単に想像できる未来よりも、まだ見ぬ世界を夢見たい
この道は正しいのか、本当に信じていい道なのか、世間的にはどう思われるか、弱ってくるとやっぱりそればかり気になってしまう。
辛いとき、弱っているときに励ましてくれる人は本当に素晴らしい。そしてその励まし方が粋だったりすると、本当にこの人についていこう!ってくらい尊敬してしまう。
今の私は自分自身をどうにかすることで精いっぱいだからそんな大人になるのはまだまだ先だなって思ってしまうけど、そんな風になれるように、自分自身に恥ずかしくない人生を歩んでいきたい。自分に誇りを持ちたい。
全部それは正しい感情だって今なら言える。そしてそれを後押ししてくれる言葉たち、励まし、人たちを私は信じている。
今は今でいっぱいいっぱいだけど、過去の自分よりはどんどん幸せや理想に近づいて行っている。それは事実だ。
その事実は誇りだ。経験でしか、自信をつけることができないことも学んだ。だから私はひたすら経験を重ねるしかないんだ。
前に進んで行くのは怖いし、新しいことを始めるのもつらいし大変。だけどやってみて初めて分かることや、初めて感じる高揚感がある。
それに出会えたこと自体が奇跡だ。
私はそんな奇跡に立ち会うだけの勇気が身についてきている。確実に前に進んでいる。